サラリーマンがゴルフを始めるきっかけにはいろいろある。私は、学生時代ずっと野球をやっていた。中学の県大会では地方紙にも取り上げられ「神田のシュアーなバッティングが光っていた」と評論されたこともある。「シュアー」と言っても当時は意味が分からず英語の先生に聞きに行った。
バットを振ってボールを打つことには自信があった。社会人になってからも、時々職場の好きな連中と集まって練習や試合をやっていた。しかし、野球は1人では何もできない。2人でキャッチボール、9人集まってようやくチームができ、試合をするには相手も9人集めないといけないので総勢18人が必要となる。
20代後半のころ、野球に代わりサラリーマンとして1人で手軽にできて、体のためにもなり、歳をとっても楽しくできるスポーツは何かないものかと思うようになった。剣道とか柔道とかの伝統的個人技の1人スポーツはあるが、このたぐいの種目は強い方が必ず勝つと決まっている。
いまさら初歩から始めても負けてばっかり、相手をいい気分にし、自分が滅入って精神的にも面白くない。1人で走るというのもあるが、これは単純すぎて持久力もない。
やはりいまさらやるのなら多少大人として品格もあった方がいい。品のありそうなスポーツとして思いつくのは乗馬、剣道、弓道などだが、これらは何かピンとこない。あれこれ思いあぐみ探していたが、これだというものがあった。それがゴルフだった。
ゴルフは、その当時、まだわれわれサラリーマンからは認知されていなかった。ゴルフはお金がかかり金持ちのするスポーツと言われていた。しかし、見ていると棒を振り回してボールを穴に入れるだけのスポーツ。野球をやっていたので、棒を振ってボールに当てるぐらいは大丈夫。お金の方は練習の仕方もいろいろあるだろうし、お金のかからない方法だってあるはずだ。別にコースにいつも行かなくてもいいし、周りを見回しても口だけは達者だが、上手だと言えそうな人も少ない。
そのころちょうど東京国立市で長期研修中だった。まず上野のアメ横に行って中古の5番アイアンを1本買ってきた。空き地を見つけて、テレビで時々見ているのをマネして振ってみたが、振るだけなら簡単なものだった。そのうち、やっぱり素振りだけでは物足りなくてボールを打ちたくなり、またアメ横に足を運んだ。
そして1袋500円のロストボールを買ってきた。1袋といっても100球ぐらい入っている。どこかの練習場の使い古しボールだったと記憶している。ボールの良し悪しなどどうでもよかった。とにかくゴルフボールというものが有ればいいという感じだ。
幸い外に出ると広い校庭がある。夕方の人がいなくなったのを見計らって、端の雑草の生えている所でボールを置いて打ってみる。おそるおそる振るのでさっぱり当たらない。空振りも幾度かあった。適当にエイヤアと力を入れて振ると、まず地球を叩く。時たまびっくりするぐらい急に飛び出して行くときもあった。ボールは飛んだがどっちに行ったのか、どこに落ちたのかは薄暗くてさっぱり分からない。後で探しに行くと、校庭の対角線の向こうに野球部でいつも練習しているバックネットがあり、その真下に何個か落ちていた。
その時「えっ!こんな所まで飛ぶのか」とびっくりした。探しても分からなくなったボールもある。フルスイングでボールを打ちたいという欲望に駆られ、5番アイアンだけ持って国立駅近くのゴルフ練習場と名の付くところに初めて行ってみた。基礎も何も知らずに、見よう見まねの我流で振っていたのでさっぱりだった。面白くもなかった。そのうち研修も終わりが近づいてきたのでそのままとなってしまった。
2年間の研修も終わり広島に配属となった。所が変われば少しは違うかなと思い、宿舎の近くのゴルフ練習場で再びチャレンジした。少しは当たるようになったが、慣れてきたら野球スイングで力いっぱい振っていた。ボールはスライスばかり出る。スライスと言ったら聞こえはいいが、最初から右に出て大きくさらに右に曲がり、真横のネットに当たるバナナボールだ。
しかし、その当時はそれがなぜそうなるのか分からなかった。力を入れて振らないと遠くに飛ばないし、力を入れれば入れるだけ曲がった。バナナボールが直る気配もない。感覚的にどこかが間違っている。やっぱりスポーツは基礎が大切。1からやり直すべきだとあらためて認識した。
野球にルールがあるように、ゴルフにもルールがあるはずだ。まずルールを覚えよう。そのころでもゴルフの教本は出ていたと思うが、何せ遅咲きのサラリーマンゴルファーだったので、本を読むよりは直接手とり足取りで教わった方が手っ取り早い。学校のようなところで習った方がより効果的だし、いろいろのことを教えてくれるだろうと思い、地方新聞の広告欄などを見て探していた。
ちょうど「広島ゴルフアカデミー」という創立したばかりのところが受講生を募集していたので早速申し込んだ。教室の場所は広島で1番の繁華街ながれかわ流川の近くのビルの2階か3階だった。一緒の受講生は15人足らず。クラスの雰囲気は物好きのサラリーマンが集まったという感じだ。
それでもテキストとしてはA4版でコピーしたペーパーを数枚その都度配布し、それを保管するバインダーを別にもらった。週3回、午後6時から授業が始まり、最初の講義はゴルフの歴史からだった。最後には実技指導もあると書いてある。また、卒業コンペもあるらしい。
できるだけ休まずに行くつもりだったが原則3カ月の講義のうち、何回かは仕事の都合で休まざるを得なかった。別のクラスでの補習も受けた。この座学は、その後の私のゴルフ哲学形成のために大変役に立った。
実技指導では実際にボールを打ち、コースにも出るということなので、ゴルフ道具一式も揃えておかなければいけない。今度は本格的に始めるのだから安売りでなくしっかりしたものを買いたい。しかし、そのころの広島ではどこでゴルフ道具を売っているかも知らなかった。東京日本橋で三越創業300年記念ゴルフ祭という催しを開催しているのを知り、東京の老舗百貨店なら信頼がおけるだろうと買い出しに行くこととした。
1フロアーいっぱいにゴルフ道具が並んでいた。その当時でも国産のメーカーはあったと思うが、ゴルフ発祥の地は外国だし、道具も当然、外国製の物がいいだろうと買うのなら外国の物と頭から決めていた。案の定、フロアーには横文字のものがたくさん所狭ましと並んでおり、いろいろありすぎてどこの製品がいいのかなどはさっぱり分からない。
店員に聞くと「このたびこの催し物のために、特別に三越とウイルソンが共同開発した日本人向けオリジナルクラブの300+1というのがある」と言う。特別に作ったのならいいだろうとウッド3本とアイアン8本が揃って1つ箱に入っている「ウイルソン300+1」というブランドのフルセットを買った。
サンドウエッジだけは別売りで、店員が「サンドウエッジはスポルティングがいいですよ」と言うので何の迷いもなくスポルティング製の物を買う。長さとか重さなど自分に合っているかどうかはもちろん分からないし、第一、初めてのクラブなのでそんなことはどうでもよかった。全部で8万円ぐらいだった。それでも当時としては高かった。
長くて重い荷物を広島まで持ち帰り、舶来の道具なら当たりも違うのではないかと勇んで練習場に足を運んだ。フルセットのゴルフクラブが自分のものになったということで、なんだか上手になったような気持ちになっていた。当たりの方も、高い金を出した新品なので地球を叩いて傷が付いたらもったいないと慎重に振るので、まあまあそれなりに飛び、曲がりも少なかった。
しかし、ドライバーは長いせいかもうひとつ当たりがでない。よく見るとドライバーのヘッドは合板で作られている。桜の木のブロックが1番いいとどこかで聞いたことがあったが、買うときはよく見なかった。「うまく当たらないのは、そのせいかな」と素人の浅ましさから言い訳的に思った。
セミナー最後の実技レッスンの時、先生に打ち方を教えてもらう。教えられた通りに振るのだがさっぱり芯に当たらない。先生が「貸してみろ。見ていろよ」と言って私のドライバーで打つ。その時の先生は当時のツアープロだったのだと思う。打ち出しが低く出て、途中からグッグッグッと上がってネットに食い込んで一瞬ボールが停止したようになってポトンと真下に落ちる。
「凄い。プロは違うな」と感心した。合板も雨の日などで水気を吸わなくて重さの変化がないから、いいというような話も聞いた。クラブのせいではなかった。プロが「いいクラブだな」と私のドライバーのヘッドを感心したように見ていた。素人心にわざわざ東京にまで行って買ってきた代物なのだから「譲ってくれ」とか言い出されたらやばいなと内心思ったものだ。それから自信を持って打てるようになった。
そうこうするうちにまた転勤となり東京勤めとなった。東京はすでにゴルフブームの兆しがあった。「課のコンペをやるがゴルフができるか」と先輩から言われたが、「やります」と言うほどの自信はなかったので、「クラブは持っていますが、全然駄目です。下手です」と言うと、「ゴルフクラブを持っているならたいしたものだ。大丈夫だ」「まあ初めてだから、ハンディは36だな」と先輩命令だった。
コンペの当日はたくさん集まっていて、どの顔を見ても上手そうで気後れした。緊張しながら何とか回って来たが、スコアは100を超えていた。しかし、何しろハンディが36あるからダントツの優勝となり、先輩から『うまいのならうまいとウソを言うな』とえらく叱られた。うまいとも言えなかったのでそうなったのだが、それからはゴルフの世話役をさせられることとなり、ゴルフとの縁が始まった。
ちょうどゴルフが面白くなってきた最中だったので、会社の厚生課や互助会の法人会員権を借用したり、自分でカートを引きずってどこにでも異動できる河川敷に行ったり、できるだけ安上がりのゴルフに熱中するようになった。ある時、土日の予約を取るのが難しいと言われていた千葉の方のコースを、ダイヤルを回すたびに話し中となるのを何度も何度も回し直し、半日がかりでようやく1組の予約を取った。
当日、東京駅に4人集まって勇んで電車に乗ったのはいいが、その日は夜明けから雨が降っていた。誰も止めようとは言わない。千葉駅に着くと天からバケツで水をぶっかけるぐらいの土砂降りの大雨で、視界もままならないぐらいだった。さすがに「よく降るな」という声が出たが、止めようという声はなかった。
コースに着いた時には少しは小降りとなっているかもと、期待をかけてクラブバスに乗った。しかし、ゴルフ場に着いたが一向に止みそうもない。当然、大雨のため人もまばらだった。諦めて帰ってしまう人もいる。スタートしている人は見えなかった。
ゴルフ場の人に「出ても大丈夫ですか」と聞くと「出られるのならどうぞ。いいですよ」と言う。「せっかくコースまで来たのに帰るのもどうか、出よう」ということとなって、けげんな顔をするキャデーさんを促して1番ティに向かった。
ハーフを回って上がってきてもまだ雨は弱くならない。さすがに、皆びしょ濡れで宴会に切り替えた。ゴルフ場の方でもその日は昼からクローズとしていた。ゴルフのやり始めは誰でもこんなものだと思う。このようにして私のゴルフが始まった。
サラリーマンとしては、一応霞ケ関中央官庁の役人を務めさせていただいた。サラリーマン生活でゴルフは霞ケ関界隈の絶好の人脈を広げる手段にもなり、また、地方での勤めにも大いに役に立った。特に地方勤めでは、地元の広島、松江、岡山、柳井のほか、長野、仙台と風光明媚でゴルフ場もたくさんある地域を経験させていただいた。
東京でゴルフをしようとすると、朝4時か5時ごろ起きて、だいたい2~3時間をかけて目的のコースに着くというのは当たり前で、プレー料金も高く、ホールホールでいつも待たされ混んでいるというのが定番だった。それに比べ地方は、30分も行けばたくさんのゴルフコースがあり料金も安いしスイスイ回れる。地方勤務はまさにゴルフ天国だった。だいたい地方に行くと、皆、腕を上げて帰ってきていた。
定年近くまでひとつの役所でいろいろの仕事をさせていただいたが、誰でもは経験できないMOF担(大蔵省担当、主計課予算担当)、国会担当(政府委員室キャップ)という霞ヶ関のアウトロー的な職務を2箇所も経験させていただいたのは、今でも貴重な財産となっている。
予算とか国会の仕事は、両方とも相手があり大変気を遣う仕事で、本省業務の活動を陰から支える決して表に出ない縁の下の力持ち的な存在だった。それに繁忙時期になると、相手に合わせて数日間連続で役所に泊まり込みとなる時もあるし、毎日の帰宅も日付が変わることが多いというのが当たり前となっている職場だ。
そのようなことから役所の人事担当者は、人情としてどちらかひとつを勤務させたら次は楽な仕事に回すというのが慣例となっていた。両方を経験したのは、後にも先にも私だけだった。その2度の経験からウッド(気遣い)とアイアン(金使い)がうまくなったのかもしれない。
MOF担では、北海道摩周湖の近くのゴルフコースにカウンターパートと一緒に連れ立って行った。摩周湖独特の霧の中、10メートル先が見えないところで、キャディーさんから「この方角にグリーンがありますから早く打って下さい」と言われて打ったらグリーンに乗っていたというようなゴルフも経験したことがある。
おかげで予算獲得の最終場面では「落ち穂拾い」と言って、各項目を査定してその端数が集まった金額をどこかに振り分ける作業を私にまかせてくれた。この金額がバカにならなくて私の役所では5億円ぐらい。
私は各局の予算担当のところに行き、「本当に必要なものがあれば言って来てください。私が大蔵省と掛け合って査定された項目を復活してあげるから」と大見得を切って難しそうな格好をして、落ち穂拾いの金額をそこに上乗せ増額し、ありがたがられたときもあった。あまり上品な役人ではなかったようだ。
また、国会担当では人脈がものをいう職務であり、ゴルフ好きの議員秘書や党本部の事務局員などに声を掛け、国会オープンゴルフコンペを開催し与野党を問わず永田町での親交を深めていった。これが今でも大いに役立っている。いつかまたやりましょうという話はするが、まだ実現していない。ゴルフもいろいろのところで役立つものである。だからゴルフはやめられないと勝手に解釈して、ゴルフにいまだに熱中している。
そのうちホームコースも欲しくなり、清水の舞台から飛び降りる覚悟で、大金(私としては)をはたいて栃木県の方のゴルフ会員権を買った。浅草から東武東上線特急で行くのだが自宅からは約3時間はかかった。それでも意気揚々とメンバーさんとして月例会や理事長杯、クラブ選手権などクラブ競技に参加し腕を磨いていった。
知らない人とプレーするので腕を上げるには一番だった。そのコースも今は会社更生法とかで会員権も紙くず同然となっている。しかし、私のゴルフの収斂場としての役割は十分に果たしてもらったと思っているのでもう減価償却済みだ。
その後、ゴルフも教えられるようになったら定年後も楽しいだろうなと思い、NGF(日本ゴルフ財団)の指導者養成講座120単位の研修を受講し、筆記試験、球の打ち分け検定、ラウンド実技試験に合格、1991年6月に指導員の資格認定証(登録番号第50062号)をいただいた。これがゴルフインストラクターのできる資格となっている。ゴルフは歳をとってもいつまでも楽しめるから面白い。
サラリーマンの間でよく言われる話だが、ひと昔前まではサラリーマンの必修は、麻雀、カラオケ、お酒だった。しかし、ゴルフがブームになるころから、麻雀は健康にも良くないと言われだし、麻雀に変わってゴルフが台頭し、ゴルフができないとサラリーマンとして出世できないとまで言われ出した。現在ではゴルフはサラリーマンには欠かせないものとなってきている(麻雀派もまだまだ健在だが)。
ゴルフのプレーは、サラリーマンの仕事とも多くの共通点がある。主なものとしては時間管理。相手とのアポイントの時間に遅れてはいけないし、会議には遅刻してはいけない。ダラダラ会議は時間の無駄遣いだ。サラリーマンとしては当然のことだが、ゴルフでもスタート時間に遅れたら揃ってスタートできず皆に迷惑をかけるし、前後の組を気にせずにダラダラプレーをしたり、ボール探しで時間をかけ過ぎたりしていたらスロープレーの罰則の対象になる。
また、構えて打つまでにモタモタ、ノロノロしていたのでは皆からひんしゅくをかう。即断即決が必要だ。その他、ゴルフでは仕事と同じように、情報収集、礼儀、気配り・目配り、知識、先見、戦略、活力、挑戦、冷静、まとめ、危機管理、結果主義、勝ち組負け組などなど、ゴルフで必要と言われることは、当然、仕事でも必要となることばかりだ。
本文の中にも書いたが、「ゴルフが上手な人は、仕事もできる」と言われるのはまさにそのとおりだ。
ゴルフが上手になるためには、まずゴルフとは何たるかを知らなければいけない。ゴルフを勉強し、ゴルフを知って、ゴルフをすれば誰にでも喜ばれるし、自分も楽しい。いつまでも品格のないゴルフをしていたのでは仲間から嫌われる。どうせするなら品格のあるゴルフ、ほんまもんのゴルフがいい。
サラリーマン諸君には、ぜひこの本を読んでゴルフとは何たるかを知っていただき、ゴルフ上手になって、上司先輩に認められ、どんどんあなたの会社で出世していただきたい。
この「月イチゴルフの品格」を読んでいるのと読んでいないのとでは出世の度合いも違うかもしれない。
完